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子どもに読書のよろこびを


2018

東欧・南欧の子どもの本  

                                      

1  6月16日(土) 午前の部:10:00〜12:00  午後の部:13:00〜15:00
        

午前 ポーランドとその周辺の東欧の昔話
      

   

午後 わたしの翻訳人生
      

   


講師 足達 和子(あだち かずこ
東京生まれ。法政大学卒業後、ワルシャワ大学に留学。帰国後、ポーランド航空勤務、静岡産業大学講師などを経て、現在は通訳、翻訳に従事。著書に『日ポ・ポ日小辞典』『”はなたれ小僧さま”と、その他の日本の昔話』(以上ワルシャワで刊行)『ポーランドの民族衣装』、訳書に『ぼくはナチにさらわれた』『美しいハンナ姫』『くつやのドラテフカ』など。『現代日本名詩選ふゆのさくら』で 日本翻訳出版文化賞受賞。カバレルスキ十字勲章受章
                 

        講義中の足達和子



 講座レポート

  
午前の部
「ポーランドとその周辺の東欧の昔話

・足達先生はポーランドの民族衣装をお召しになって登場されました。舞台上に飾った衣装は、子供の冬用という事ですが重さが13キロになるそうです。先生の衣装は夏用で 軽やかな生地でしたが、胴衣に刺繍されたスパンコールが彩りを添えていました。
まずは、ポーランドの位置、住んでいる人々(特にスラブ人について)の解説などからお話が始まりました。
そして、民族衣装のおはなしの中で 昔話と民族衣装と踊り(民族舞踊)の世界は相通ずるものがあり、踊っていると昔話の世界を感じられるというのが印象的でした。
足達先生は 本当によくポーランドの事を詳しくご存じで、先生のお話で、歴史上様々な国によって侵略や分割統治され、第二次大戦時には国土の99%以上を破壊されたにもかかわらず、人々の努力により 言語・文化(音楽や絵画、昔話も)が守られ、戦後復興するポーランドの人々の愛国心と惜しみない努力などをお話から感じられました。ショパンのほとんどの曲に、ポーランドへの愛国心が表れているということも足達先生のお話で初めて知りました。
 ポーランドの昔話や伝説が無くならないようにと、19世紀ごろから収集している人たちがいた事や、その思いを引き継いで活動した人達がいた事、いつか復興をする時の為にと町の様子を描いた絵画を疎開させ、実際に絵に描かれた街並みの通りに(レンガの1枚、1枚まで)再建した話など 本当に愛国心のなせる業だと感心せずにはいられません。
 途中、先生が用意してくださったポーランドでの出来事や風景・建物などの写真をスライドで映し出して、いろいろなお話や楽しいエピソードを伺いました。
 後半は 日本に紹介されているポーランドの本として、『ポーランドの昔話』、『千びきのうさぎと牧童』など少し古い本や先生の翻訳本(絵本を含め)のご紹介をいただきました。その中で、ジプシーの話(『太陽の木の枝』『きりの国の王女』)やポーランド語の翻訳の先駆者としての内田莉莎子さんについては特に時間を取って、最初に翻訳本を出す事の難しさやご苦労を想像し話されていました。
 また、先生は普通の翻訳より、絵本は素敵な絵が入るので時間がかかっても作っていて楽しいとおっしゃっていました。
 ポーランドという国の歴史や出来事、そこに生きる人達の事や私達では分からない出版社とのやり取りや本を作る事のご苦労なども聞けて、あっという間の2時間でした。

午後の部
「私の翻訳人生」

・午後は先生が翻訳された本を 年代を追って20冊紹介されました。特に最初に出された「日・ポ、ポ・日小辞典」でのエピソードは 波乱万丈の末にようやく出版されたいきさつがドラマティックで 外国語の辞典を一番初めに出す大変さ、遠い国とのやり取りの大変さ、先生の行動力の凄さに ただただ感動するばかりでした。
 日本の昔話をポーランド語に翻訳した「“はなたれ小僧さま”とその他の日本の昔話」は、挿絵の版画がなんとも味わい深く日本語版も出してほしいぐらいです。
 また、それぞれの本1冊、1冊ごとにドラマやエピソードが満載で、それだけでも本が作れるのではないだろうか?と思われるほどでした。
 最後に「“はなたれ小僧さま”とその他の日本の昔話」から「ももたろう」の最初の部分をポーランド語で朗読していただきました。初めて聞くポーランド語は とてもリズミカルでポンポン進む感じでした。英語とは全く違うため単語が聞き取れず、何を言っているのかさっぱり分かりませんでしたが…。先生はとても楽しそうに読んでくださいました。講演後のサイン会もしていただき、大盛況のうちにお開きとなりました。

                    
               ポーランドの民族衣装をご紹介くださいました。




2  78() 午前の部:10:00〜12:00  午後の部:13:00〜15:00
        

午前 チェコスロヴァキアの少女時代
   
     チェコの暮らしと文化
午後 絵本の国チェコで出会った運命の本
       子どもの本の移り変わりを見つめて
   


講師 木村 有子(きむら ゆうこ)
・東京都生まれ。1970〜73年、プラハの小学校に通う。1984年、日本大学芸術学部卒業。1984〜86年、プラハ・カレル大学。新聞社勤務の後、1989〜94年、ドイツのフランクフルト、ベルリンの大学でスラヴ語圏の言語を学ぶ。翻訳、エッセイ、講演などを通して、チェコの文化を日本に紹介している。訳書に「もぐらくんの絵本」シリーズ(岩波書店)、絵本の訳書に(偕成社)、『どうぶつたちがねむるとき』(偕成社)『金色の髪のお姫さま チェコの昔話集』『こいぬとこねこのおかしな話』(岩波書店)など、多数。

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                                  講義中の木村有子氏
  


講座レポート

  
午前の部
「チェコスロヴァキアの少女時代〜チェコの暮らしと文化]br>

・講師の木村先生は、1970年から1973年まで、ご家族とともにチェコで過ごされました。9年制の地元の小学校の3年生に、チェコ語がわからないまま転入。当時は社会主義のチェコスロバキアで、様々な異文化を体験され、週末や夏休みには田舎暮らしの楽しさも満喫されました。やがて、帰国されるのですが、9年後20歳の時にチェコスロヴァキアを訪れ、チェコ語が自由に話せなくなっている悔しさを感じ、チェコ語を学ぶ決心をされました。ここに、生涯をチェコと日本を繋ぐ翻訳の仕事をされる原点がありました。  留学時代は、子ども時代の思い出とは裏腹に、社会主義下で自由がない厳しいものでした。−25度の気温でも、石炭ストーブで凌ぎました。厳しい検閲のある中、チェコスロバキアの画家たちは絵本やアニメーションなど、子どもの文化の中に、表現の場を求めていたのです。帰国後結婚し、1989年西ベルリンで暮らしたときは、ベルリンの壁崩壊を目撃するという歴史的な体験をされます。続けて民主化運動は東ヨーロッパに広がり、プラハで民主化運動の高揚感を目の当たりにされます。  チェコの人々は、特段のお金持ちではなくても、週末は別荘でのんびり過ごし、街には書店や古本屋がたくさんあるそうです。不安定な政治の歴史を持つチェコでは、人々は読書を友とし、子どもたちには過激なものではなく、質のいいやさしい本を与えているそうです。

午後の部
「絵本の国チェコで出会った運命の本〜子どもの本の移り変わりを見つめて〜」

・チェコの小学校に通っていたころ、友人の家には素晴らしい絵本が充実していて、特に木村先生の運命の絵本といっていいのが『金色の髪のお姫様』で、帰国後も手元に置いて遠いチェコを思い起こしていました。美しい挿絵と装丁の豪華さは、初めて受ける感動があったそうです。  チェコの2大昔話収集家で作家でもあるエルベンやニェムツォヴァーの作品、ジャーナリスト、作家、脚本家でもあるカレル・チャペック、画家、作家、美術評論家のヨゼフ・チャペックの作品、他日本でも出版されよく知られている作家たちの本を紹介してくださいました。特にチェコの国民的絵本作家のミレルの「もぐらくん」シリーズを翻訳するにあたり、チェコのお知り合いの方々に驚きと喜びの言葉をいただいたそうです。  自由化後、アメリカ文化が大量に流入しましたが、やがて淘汰され個性的で質のいい出版社が定着しているようです。




        もぐらくんのぬいぐるみ、先生の訳された本





3  722() 午前の部:10:00〜12:00  午後の部:13:00〜15:00
        

午前 イタリア児童文学の展開
   
    『ピノッキオの冒険』からロダーリまで。
午後 現代イタリアの児童文学
   
       ピッツオルノ、ピウミーニ、その他の作家たち

講師 長野 徹(ながの とおる)
・東京大学文学部卒、同大学院博士課程修了。現在、東京大学、共立女子大学等で教壇に立ちながら、イタリア文学の研究と紹介に従事。特に幻想文学、児童文学、民話などに関心を寄せ、児童書を中心に翻訳多数。訳書にピウミーニ『逃げていく水平線』ピッツォルノ『ポリッセ―ナの冒険』、ストラパローラ『愉しき夜 ヨーロッパ最古の昔話集』、ブッツァ―ティ『魔法にかかった男』などがある。




長野徹氏

講座レポート

 午前の部
「イタリア文学の展開」『ピノッキオの冒険』からロダ−リまで

・イタリアで話されている言語は、ナポリ語、ヴェネツィア語、ミラノ語、ロ−マ語であり、私たちが思っているイタリア語は、フィレンツェ語です。したがって、総合的な軍隊や、学校の教育の普及を図る事などが難しいので、統一を目的としてこどもの本の出版があった様に感じました。  1837年出版された『ジャネット』(パッラヴィチ−ニ著)は男子の立身出世の物語で、教科書として使用されてきた、分厚い百科事典のような本でした。 1886年出版されたイタリア児童文学の傑作といわれる『クオ−レ』(アミ−チス著)は、理想的、教育的な子ども向けとしては最初の本でした。 その後「有るところに二本の棒切れがありました」ではじまる『ピノキオの冒険』(コッロ−ディ著)が1883年に出版されました。日本では1925年佐藤春夫訳が出版され、1920年西村アヤ著『ピノチヨ』の出版と続きました。意志を持たない操り人形が意志を持ち、失敗を繰り返しながら分別を学び、自由に考え、行動できるまでに成長する内容は、現在も世界中で読み継がれています。 イタリアで唯一アンデルセン賞を受賞し、戦後の代表的な作家であるロダ−リが著した、たまねぎ坊やの大冒険『チボリ−ノの冒険』や、ロダ−リが小学校教員時代、生徒と一緒に作った『空にうかんだおおきなケ−キ』などなど。 1800年代の本から1985年までに出版された本を年代順に、個々の作家・作品を取り上げながら、立て板に水の如く紹介していただきました。

午後の部
「現代イタリアの児童文学」ピッツォルノ、ビウミ−ニ、その他の作家たち

・1991年出版の『わたしのクオレ』(ピッツォルノ著)は、原題を『きいてよ私の怒りを』といい、貧富の差がある時代、三人の女子が先生に立ち向かうお話しです。子どもの目線で書いた、作家の小学校時代を反映しています。『ラビ−ニアとおかしな魔法の話』はマッチ売りの少女が原点と言われています。 2015年発表の『ケンタウロスのポロス』(ピウミ−ニ著)は、古代ギリシャのケンタウロスのポロスが英雄ヘラクレスに出会い英知を得るための学びの冒険物語です。ギリシャ神話を元にして書かれています。一つの意味や、メッセ−ジより言葉やイメ−ジを大切にしたロベルトの作品です。 ベネチアを舞台に、猫の目を通して世界を見る『ネコの目からのぞいたら』(ガンドルフィル著)。英国人の血を引いてどことなく英国的なリアリズム作家ソリナス・ドンギ著の『ジュリエッタ荘の幽霊』。グリム童話に匹敵し、子どもから大人まで読める『マルコヴァルドさんの四季』(カルヴィ−ノ著)などなど、午前同様に作家や作品の紹介が続きました。 最後に、『霧の中のサ−カス』、『アリババと40人の盗賊』、『雲の子』などの絵本の紹介もしてくださいました。 未訳の本も含まれていましたし、興味のある本も多いとのことでした。今後講師翻訳の本もたくさん出版されるかも知れません。ご期待下さい。






4  9月8() 午前の部:10:00〜12:00  午後の部:13:00〜15:00
        

午前 スペインの児童文学
       児童文学小史と注目の作家・作品
午後 スペイン語圏の絵本
       スペイン語圏全体の交流から生まれる絵本たち

講師 宇野 和美(うの かずみ)
・東京外国語大学スペイン語学科卒業。出版社勤務を経て、スペイン語翻訳に携わる。3人の子を連れてバルセロナ自治大学大学院に留学。修士課程修了。現在スペイン語圏の多様な児童書、文学作品紹介に力を注ぐ。スペイン語の子どもの本専門ネット書店「ミランフ洋書店」店主。訳書に『太陽と月の大地』(福音館書店)『ポインセチアはまほうの花』(光村教育図書)『ちっちゃいさん』(講談社)『ベラスケスの十字の謎』など多数。


            講義中の宇野和美氏

講座レポート

 午前の部
スペインの児童文学小史と注目の作家

・宇野先生が翻訳を志すきっかけは、中学生のお姉さんに進められて『赤毛のアン』を読み お母さん、お姉さんが「村岡花子の翻訳は読み易いね」というのを聞いて、翻訳ということを意識し、あこがれるようになったそうです。そして3人のお子さんを連れて、バルセロナに留学、1995年からこれまでに40点ほどの翻訳があります。講座では、大西洋中心の地図での説明で母語がスペイン語の国が20ヶ国、その数は人口にすると5億人もいることに驚きました。先生がいつもスペイン語児童文学として中南米を視野に入れて翻訳していることは大切なことと思いました。また日本でのスペイン語作品の翻訳出版数が少ないことにも驚きました。スペインでは内戦、独裁政権、言論統制などが長く続くことで、児童書も政治の影響下にありましたが、80年代にやっと正常化し、2000年ころまでには出版数も激増します。『太陽と月の大地』もこの頃の作品です。ラテンアメリカでも、児童書出版社が現れるのは1980年代からです。その後、民主化当時の子どもたちが大人になり、メディアの発達で英語で書かれた本の翻訳がとても速くなりました。80年代にはこれまで抑えていた作家たちが熱い思いを書いてききましたが、2000年以降は娯楽性、エンタメ、ガリーな作品も増えてきます。先生はたくさんの児童文学をご紹介くださいました。作品を通してその土地に住む人たちに親しみを覚え、そこにいる人たちに、作品を通して私たちは戦いたくないと思うこと、そして子どもたちにもその気持ちと一緒に本を手渡していくことを忘れてはならないと思いました。

午後の部
 スペイン語圏全体の交流から生まれる絵本たち

・スペイン語の絵本のはじまりは、内戦以前は子供雑誌の時代。絵本ではなく、挿絵でした。独裁政権時には英米の本は入ってきませんでした。そのため、1990年代までは、基本的な絵本を見ていた人はあまりいなかったので、絵本の作り手もいませんでした。この時代はお話が中心で絵が付いてくるだけ、字が詰まっているものでした。その後2000年までにスペインでは、先生がもう一つの秘密を話してくださった、『かちんこちんのムニア』(アスン・バルゾラ)が出版、そしてラテンアメリカでも現実を表現した絵本が出されました。2000頃からは、小さな意欲的な出版社の増加により絵本ブームになり、子どもの好みに合わせるより、子どもに投げかけるような、自由な表現の絵本が出版されました。『かぞくのヒミツ』(イソール)、「はじけてハチャメチャなところが大好き」と読んでくたさった『かぞくのヒミツ』(イソール)。育児書よりも赤ちゃんのことがよくわかる『ちっちゃいさん』(イソール)、この本もとても好きだそうです。『マルコとパパ』(グスティ)は142ページある、ダウン症のある子とパパの絵本です。ラテンアメリカの現実を表現した作品もたくさん出ています。スペイン語圏の絵本つくりの特徴は国境を越えた絵本作り。ラテンアメリカの20ヶ国のスペイン語圏の出版社の人びとがとても仲が良く交流が盛んだそうです。素敵ですね。『むこう岸には』(マルタ・カラスコ)を、心地良いやさしい声で読んでくださったこと、心に残る本でした。先生の丁寧な解説でスペイン語圏の歴史的背景がわかりました。スペイン語圏の本に対する先生の真っすぐな気持ちが伝わってくる一日でした。






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