 

栃木子どもの本連絡会は、
未来に向かって成長する子ども達を支え、
本のつなぎ手として子どもの本をより深く学ぶために、
過去様々な講座を開催してきました。
1995年から2009年まで25年に渡り、
「栃木子どもの本サマースクール」が開催されました。
※アーカイブ参照のこと
その後、形態を変えて会員に勉強の機会を
残すことはできないだろうかという思いから、
2010年「栃木子どもの本連続講座」が生まれました。
第1回「イギリスの子どもの本」から始まり、
2022年に開催された第10回「日本の子どもの本」まで、
そうそうたる講師陣をお迎えすることで、
県内外のたくさんの方々に受講して頂きました。
その多彩なテーマもこちらでご覧いただけます。
※栃木子どもの本連続講座参照のこと
そして、
さらなる学びの機会を提供したいという思いから,
2023年よりあらたに
「栃木子どもの本の講座」を開催いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
|
子どもの本の講座のほかの年のレポートをご覧になれます。



第1回 6月1日(土) 午前の部:10:00~12:00 午後の部:13:00~15:00
※初回は、9:50から開会式をおこないます。
午前
赤羽末吉の人生と絵本
午後 ~子どもたちへの贈り物~
講師 赤羽 茂乃(あかば しげの)氏
・1952年東京生まれ。1979年、画家・赤羽末吉の三男、研三と結婚。11年間に渡り、義父末吉の近くで暮らし、その日常に触れる。末吉他界後、研三とともに、遺された原画、スケッチ、資料等の整理に携わり、赤羽末吉の人生とその作品について調査を続け、各地で講演活動をおこなっている。著書に『絵本画家赤羽末吉スーホの草原にかける虹』(福音館書店) 。日本児童文学学会特別賞、日本絵本研究賞特別賞受賞。

赤羽 茂乃さん
講座レポート
午前の部
・赤羽末吉さんといえば、知らない人はいないでしょうが、講師が「その息子さんのお嫁さん」という立場の方で、どれほど受講申し込みがあるか不安でしたが、会場はスタッフを入れると60人以上と多すぎず少な過ぎずの参加者があり、ホッといたしました。
講師の赤羽茂乃さんも、とてもおおらかで温かい雰囲気の方で、家での食事風景や、孫とのやり取りなど、家族にしか語れない赤羽末吉さんの姿を時にユーモアを交えながらお話しくださいました。
赤羽末吉さんは「幼いころに体験したこと、見たこと、心に残ったこととか、人生の要所要所で進むべき道を示していて、自分を絵本の道へ導いてくれた」ということを、非常に強く感じていたそうです。
赤羽末吉さんは、子どもの頃映画や落語・立ち絵(紙芝居)が好きだった。22歳の時満州に渡り、はじめは苦労したが、満州電信(株)にスカウトされてからは、日本画家として認められたり、郷土研究家として郷土玩具や影絵人形芝居を研究したりと、充実した15年間だったようです。
合間に絵本の人物の表情や、色使いのこだわり・画材などを、実際の絵本を例にとりながら解説して下さり、もう一度絵本を手に取ってじっくり細部まで絵を堪能してみたいと思いました。
午後の部
・赤羽末吉さんは、満州にいるとき、東北地方から来た満州移民開拓団の子どもたちと接したことで、雪国というものへの憧れを募らせていました。日本に帰国してから、一人で何度も雪国に旅をして土地のにおいを感じ、雪を見つめスケッチをしていたそうです。「何の役にも立たなくても雪を知りたい、雪の絵を描きたい」との思いで10年近く続け、それが初めての絵本『かさじぞう』に繋がりました。
また、目先にとらわれず自分の心に響いたものに誠実に向き合えば、自然と生み出される。また、絵本に大衆性と格調の高さを両立させたいと願っていた。分かっても分からなくても幼いころに見た絵は心に残って作用している。「子どもは絵本の中で人生体験をやるんです」と言い、世の中には不思議なもの恐ろしいものがあるが、それを乗り越える力、子どもの力を信じて見守り、子どもの心を大事に考える。そんな絵本作りを目指していたようです。
赤羽末吉さんが、どのように生きて絵本の道へたどり着き、どのような思いで絵本を作ってきたかがよくわかり、とても有意義なお話でした。
|
  
第2回 8月31日(土) 午前の部:10:00~12:00 午後の部:13:00~15:00
午前
父 堀内誠一 絵本と素顔
午後
講師 堀内 花子・紅子(ほりうち はなこ・もみこ)氏

講義中の堀内花子さん・紅子さん
講座レポート
午前の部
・午前の部では、堀内誠一さんの2人の娘さんたちから、その誕生から少年時代。そして1932年生まれの堀内さんが戦後すぐ復興間もない頃、14歳で新宿の伊勢丹に入社し、その後アートディレクターとして活躍。ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築き、やがて絵本と出合って、いくつもの絵本作品を残していく過程を伺いました。アートディレクターとしては、多くの雑誌を創刊から手掛けただけでなく、「anan」「olive」「平凡パンチ」「popeye」「たくさんのふしぎ」「BLUTUS」などなどのロゴも、全て堀内さんの手になるそうです。
奥様の内田路子さんとは、「ㇿッコール」(千代田光学営業誌)の編集部で出会い、路子さんの紹介で福音館書店の松居直さんに会って、絵本作家への道が開けて行ったそうです。でもほかの仕事もやりながらの超多忙のなか、一旦そういったコマーシャルな仕事には見切りをつけて、家族水入らずで、パリを中心に旅行をしたい、というのが夢だったので、それを実行したのが、1974年。それから1981年の帰国まで、取材や家族旅行などで、それはそれは多くの地を訪れています。
「旅行は父が行きたい美術館と、見たい建築物とを旅程に組んで、私たちには有無を言わせずでした。また、パリからの旅行を「anan」にずっと連載していました。ほかの子は海とか山とかキャンプに行っているのに、うちは街中の美術館とか教会を見て回っている。大抵は不平たらたらで歩いていました。」と話されています。でも、「いくら不機嫌でも懲りずに連れて行ってくれて、きっと見せてやりたいという気持ちがあったのだろう。ありがたいと今は思います」とも。
午後の部
・午後は幅広い分野で活躍された堀内さんのお仕事の中から、娘さんたちでないと語れない絵本のお話を伺いました。「はじまりの絵本たち」のお話、「グリムやアンデルセンなどの名作をいかに描くか?」について。また「好奇心と科学の絵本」では「たくさんのふしぎ」など、創刊時から企画に参加されていた堀内さんの科学の本に対する姿勢、描き方なども伺いました。『てがみのえほん』や『どうぶつしんぶん』ができるまでの、花子さんとの楽しい会話、『くまとりすのおやつ』では紅子さんがちぎり絵をしてできた本のことも話してくださいました。パリで描かれた本の中では『こすずめのぼうけん』で、こすずめが時間の流れでどんどん低空飛行になっていくことや、『きこりとおおかみ』は上下にカメラアングルが変わることや「スカンポスープ」のこと等、感心し納得できました。そして堀内さんの一人の画家の手によるとは思えないほど多彩な画材や技法の違いを聞き驚かされました。堀内さんのすばらしい作品をいつも近くで愛し見守ってきたお二人に、新刊・復刊また巡回展などの形で、何度でも私たちに見せていただきたいと思いました
|
 
 
Copyright 2011 栃木子どもの本連絡会. All rights reserved.
|