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おすすめ本です!
のぞいてみて下さい!



このコーナーでは、連続講座の講義の中で取り上げられた本を紹介いたします。
                
2019年の栃木子どもの本連続講座のテーマは「子どもの本の誕生から現在(いま)」です。このコーナーでは講義の中で取り上げられた本をごく一部ではありますが、紹介します。
                        




おすすめ本

2022年=日本の子どもの本=

正置友子氏の講座

題名  作者  訳者  出版社

『桃太郎の運命』

鳥越 信
  ミネルヴァ書房
   明治以降、おびただしい数の昔話や児童文学が世に出た。その中で、民話「桃太郎」は、常に知名度〈ナンバーワン〉の地位を誇ってきた。しかしその実像は、日本の近・現代史のジグザグな動きをそのまま投影するように、実に複雑な移り変わりを見せてきた。
 本書は、その桃太郎観の変遷の諸相を、時代を追いながら、物語、絵本、唱歌、童謡、戯曲、漫画等の中で検証した興味深い著書である。
以下5つのタイプに分けて、桃太郎像の変遷を追っている。

第一章 皇国の子・桃太郎
 創世記、尾崎紅葉や巌谷小波等の作品で描かれた桃太郎は、ナショナリズムの時代風潮を反映して、〈皇国の子〉として登場した。

第二章 童心の子・桃太郎
 大正期、「赤い鳥」の出現で児童文学に創造の機運をもたらした。童心主義が叫ばれ、芸術的童話や童謡が次々に書かれた。童心と郷愁、のびやかな自由主義は、様々な桃太郎像を生んだ。

第三章 階級の子・桃太郎 
 昭和に入り、関東大震災をはじめ度重なる災害や、経済不況による労働争議等の社会不安、社会主義的思想流入の中で、プロレタリア児童文学運動が台頭した。
 桃太郎も階級的視点で捉えられるようになった。『鬼征伐の桃太郎』(本庄陸男著)では、桃太郎は小作人の代表として設定され、〈鬼が島〉と呼ばれる宏大な屋敷に住む地主をやっつける話になっている。価値観の転換という風潮は、民話の世界でも無縁ではなかった。

第四章 侵略の子・桃太郎
 1930年以降、日本はひたすら帝国主義への道を歩んだ。軍国主義の騎手として、国民を鼓舞するような桃太郎が登場するようになった。『桃太郎遠征記』(佐藤紅緑著)、漫画映画『桃太郎の海鷲』、少年詩『隣組の桃太郎』(坂本越郎著)等、桃太郎の姿は、拝日主義の象徴として、侵略のシンボルとして描かれ、民話・桃太郎の運命を大きく変容させた。

第五章 民衆の子・桃太郎
  1945年、敗戦によって、日本は狂気の時代に終止符をうった。戦後、侵略の血にまみれた桃太郎のイメージを払拭することからはじまって、60年代に入り、第2次民話ブームの中で〈桃太郎ばなし〉を改めて再話、再創造することで、ようやく民衆が生んだ英雄としてのイメージが定まり、伝承説話としての地位を取り戻した。現代に至っても桃太郎の再創造は盛んで、創作パロデイも後を絶たない。巻末の「桃太郎ばなし一覧」のリストは、桃太郎の変遷を一望できる。

『音咄きりがみ桃太郎』
 安野光雅
 岩崎宇美術社
   「ももたろうのはなしをば えほんにせむとおもいたちしは あるはるのひ
のことなりき」という口上から始まるこの本は、絵のみならず文字までもが
すべて1枚の絵の中に切り抜かれていて、圧巻である。
 1点物の絵巻物から、大量生産を可能にした絵本の複製技術である板目
木版の版木を見ているような錯覚さえ起こさせるものがある。
『桃太郎は盗人なのか?』
桃太郎」から考える鬼の正体
 倉持よつば(受賞当時、袖ヶ浦市立奈良輪小学校5年)
新日本出版社
   この本は、「図書館を使った調べる学習コンクール」調べる学習部門小学生の部(高学年)で文部科学大臣賞(第22回)を受賞した作品の制作過程を本にしたものである。受賞前年のコンクール入賞でもらった副賞に、「空からのぞいた桃太郎」という本があり、その本には、『鬼だから殺してもいい?』『あなたはどう思いますか?』という帯がついていた。私が知っている桃太郎のお話とは違ってた。さらに解説には、福澤諭吉は「桃太郎は盗人だ」と非難したと書いてあった。「桃太郎が盗人?」これはいったいどういうことなの?それと同時に、「鬼はみんな悪者だと思っていたけれど、鬼ってみんな悪いのかな?」という疑問も出てきた。
 これらのことに触発されて桃太郎盗人説の真偽を確かめるべく、全国の桃太郎を読み比べると、桃太郎の話が時代によって異なることを発見。どのように物語が変化していったのか、江戸時代の文献にまでさかのぼり、各時代の桃太郎像をあぶり出している。これが小学5年生の調べ学習かと思わせられる圧巻の作品である。


宮川健郎氏の講座

題名  作者  訳者  出版社

『物語もっと深読み教室』
宮川健郎 岩浪ジュニア
新書
   「この物語を、誰の目線で読んでいる?」「1つの物語の中に、二重の風景があるって本当?」物語にはたくさんの仕組みがあり、驚きや発見する目を引き出し、読み手をもっと深い世界に誘ってくれます。
「文章の意図するところは作者の胸のうちにあるとはかぎらないと考えています。むしろ、作者さえも気がついてない文章の真の意図を読みとることが“読む”ことなのではないでしょうか(本文より抜粋)」
本書を読み進めるうちに、あたかも宮川先生の1生徒として教室で授業を楽しみ、物語をもっと深く読み進めたいと思っている自分にきっと気づくことでしょう。そして、これから先読むたくさんの物語が、今までとは違った顔を持つ世界になるはずです。

木かげの家の小人たち』
 いぬいとみこ  福音館書店
 森山家の息子の達夫が、イギリスから来た教育者から、受け取ったバスケットの中には「小さい人たち」がいました。そしてその小さい人たちが生きるためには、毎日空色のコップに一杯のミルクを入れて与えることでした。その役目は、達夫から妻の透子へ、透子から長男の哲へ、哲から次男の信へ、信から妹のゆりへと受け継がれましたが、戦争がはじまり小さい人たちはゆりと一緒に、東京から信州へと疎開しなければならなくなりました。自分の食事もままならない時代に、毎日のミルクを調達することができるのでしょうか。小さい人たちの運命はどうなるのでしょう。
『野ばら・月夜とめがね』
 小川未明  岩崎書店
 この本は、「はじめて読む日本の名作絵どうわ」シリーズの第1巻です。大きな字と豊富な挿絵で初めて読む子どもたちも読みやすいと思います。
巻末の宮川先生の解説にあるように、二つのおはなしのどちらにも野ばらが出てきます。「野ばら」では、場面ごとに何かを象徴するように、「月夜とめがね」では、少しファンタジックなお話をまとめるようにふんわりとした存在として最後に出てきます。どちらも、場面や状況がありありと想像できるような分かりやすい文で書かれています。古い言い回しや言葉使いもありますが、下段に注釈があり、その都度確認しながら読めることも、子どもたちが読み進める手助けになり、言葉を覚えることにもつながるものと思います。絵本から読み物への移行期にぴったりです。       
『コロボックル物語①
  だれも知らない小さな国』

 佐藤さとる  講談社
 主人公のぼくは子供の頃、秘密の小山を見つけ、そこで小指ほどしかない小さい人を見かけます。しかし、引っ越しや学業で小山に行けなくなり、数年後、久しぶりに小山に行くとその直後から、おかしなことが時々起こるようになりました。ポケットの中のものを取り出す時に、何かが一緒にこぼれ落ちたような気がしたり、小さな黒い影が目の端をかすめ足元に消えていくように感じたり。でも、あたりを探したところで落ちているものはありません。しかし、山の持ち主に許可を得て、山に足しげく出入りしていたある日のこと、目の前に3人の小さな人が・・・。
山と小さな人たちを守るため、ぼくの奮闘が始まります。

「読んでやったり、口で話したりできないお話は、子どもには面白くない」という石井桃子さんは、この本を大筋に関係ない所を端折りながら子どもたちに読んであげたそうです。しかし、古田足日さんは「文章のイメージがはっきりしていて、風景描写がすぐれている」と評価しています。宮川先生は「佐藤さとるさんは、黙読で物語を楽しむ十代の子どもたちを読者として意識していただろう」と言っていました。
読み聞かせには向かないかもしれませんが、とても夢中になれる素晴らしい物語です。
、「はじめて読む日本の名作絵どうわ」シリーズの第1巻です。大きな字と豊富な挿絵で初めて読む子どもたちも読みやすいと思います。      


松本 猛氏の講座

題名  作者  訳者  出版社

『ぼくの出会った絵本作家』
松本 猛 大和書房
   「この松本先生の講座担当となって、先生の著書を読むことから始めようと思いました。一番初めに出会ったのが、この本でした。副題に―こどもをみつめたアーティストたち-とありました。「ス-ホの白い馬」「はらぺこ あおむし」「かいじゅうたちのいるところ」「てぶくろ」「ふしぎなかず」の表紙絵が、カバ-写真の絵本たちでした。作家本人が、心ひかれた絵本画家たちの作品の魅力を伝えるという意図のもとに書かれた本です。中には、私たちが耳慣れないロシアの画家訪問の記述もありますが、原画を大切に収集し、保管し、原画の放出を食い止める活動の一端の訪問なのだと思いました。偉大な母の元、素晴らしい作品の中で埋もれるようにして成長した青年が、美術評論家となり、縁あって講師となっていただけたことに感謝します。 本来なら講座で紹介くださった作品を選ぶべきかもしれませんが、貴重な経験が記してあるこの書を、お勧めいたします。  



「わくせいキャベジ動物図鑑」
 tupera tupera  アリス館
 はるか彼方。地球から831光年はなれた 銀河のかたすみにある「わくせいキャベジ」。野菜と動物が組み合わさった、まか不思議なキャベジ動物たちが住む星の、動物の図鑑です。 しりとりみたいな「リンゴリラ」。辛みのある強い毒をもつ「ネビ」。むいた皮がたてがみの「ミカオン」。全身うぶげでおおわれ、顔はおしりのような形をしている「モモンガ」など今現在わかっている、28種類の奇妙な動物たちが登場します。始めは「ふーん」とページをめくっていましたが、次第に「うなずく」、そしてめくるたびの「大笑い」。わいわいと子どもたちと読み、仲間と読み、楽しさは倍増していきます。動物たちの生態や鳴き声なども見どころです。不思議な世界観にすっぽりと包まれて、台所で新しい動物をつい探してしまう本です。
『旅の絵本』
 安野光雅  福音館書店
 この本は中部ヨーロッパを舞台に、馬に乗った旅人が、農村や街を抜けて進んでいきます。行く先々で描かれるのは、そこで暮らす人々の生活や行事、そしてその地域の街並みや自然。克明繊細な筆致で、中部ヨーロッパの暮らしがとらえられています。 松本先生の講演から 『旅の絵本』は、絵巻物。ページをめくるごとに、アニメーションのように緩やかな時間が経過していく。安野光雅自身がコペンハーゲンからローマまで車で旅をして、そのときどきでのスケッチがベースになっている。片隅に描かれている鳥が、はばたき、ヒナのいる巣に餌を運んでいく。木が切られ、馬車に運ばれて製材所でおろされる。子どもたちが遊んでいたヨットが、川の流れに運ばれていく。道はつながり、川は流れていく。ヨーロッパの有名な建物、童話の一部分、絵画作品へのオマージュ。こんなサブストーリーがたくさん描かれている。
      


佐藤 宗子氏の講座

題名  作者  訳者  出版社

『ぼくらは海へ 那須正幹』
那須正幹 文春文庫
   ひと夏の少年たちの群像劇、そう言ってしまえば単純なストーリーなのかもしれません。 小学校と塾との往復を繰り返す少年たち。家庭環境もばらばらな子どもたちは、いかだづくりという共通の目的で結ばれていきます。少年たちひとりひとりの性格や複雑な思い、微妙な力関係を丁寧に描きつつ、いかだは完成をむかえようとします。 それまで児童文学名の中でタブーとされてきた、家庭崩壊、児童虐待といったバックボーンをもつ少年たち、結末を読み手に委ねる、オープンエンディング、新たな児童文学の一歩を刻んだ記念碑的作品。  


 『宿題ひきうけ株式会社』

    (新版)

 古田足日  理論社
 サクラ市サクラ小学校サクラが丘団地(すべて仮名) 看板を出していない「宿題ひきうけ株式会社」は6号館408号。 社長の5年3組の村山タケシ。両親は勤め人。弟フミオは唯一の4年正社員。 他にも様々な家庭環境の個性的な仲間たちと宿題に先生に社会に向き合っていくお話。 第二章で、6年生になったタケシたち「宿題ひきうけ株式会社」社員たちは数人ずつ別のクラスになります。 タケシのクラスの6-1の三宮先生は「自分はなぜ勉強するかということを、この1年間の宿題にする。」と告げます。 6-3にはサブローとミツエとヨシダ君。「6月の学力テスト、いい成績とってくれよ。」という持ち上がりの石川先生に対し「勉強よりそろばん」というヨシダ君。手に職があればいい給料がもらえると思っていたのに、ヤマト電機に勤めるヨシダ君の尊敬するアキコの兄から「そろばんなんか役に立たない」と言われます。ヤマト電気では電子計算機が導入され、電電公社では交換手の人員整理が計画され、子守り娘が保育士になったが問題がないわけじゃない。 さて、お話の舞台は70年代と思われますが、まるで現在とリンクしているように感じるのは私だけでしょうか? そろばんからコンピュータに変わったあの頃と、今ある仕事の半分が無くなると言われている現在。 社会全体が貧困から抜け出しつつあるあの頃と、相対的貧困世帯児童が6人に1人に増えた現在。 50年が過ぎようというのに解決されていないことに驚きます。 そして何より、登場人物たちを善悪で判断しない表現に、自分の見方を突き付けられたように思いました。 石川先生のように目先の評価を気にする大人とアキコの兄のように子どもをひとりの人間として扱う大人。 さて、自分はどちらなのだろう。      


 『明日の幸福』

 いとう みく  理論社
 中学生の外崎雨音は、事故で突然父親を亡くし、一人になってしまいます。伯母さんは一緒に暮らそうといってくれるけれど、伯母さんの家にも事情はありそうだし、雨音は今の家を離れたくない。そこへ、離婚した雨音の生みの母親が、一緒に住みましょうか?とやって来ます。でもその国吉京香は、普通に「お母さん」というイメージからは程遠い人でした。いたわりの言葉など何もなく、雨音のことを心配するでもなく、だからと言って、冷たいわけでもない。本に明確に書かれてはいませんが、京香は人とのコミュケーションがうまくできず、こだわりが強くて、柔軟に対応することが苦手、空気が読めない、いわゆる学習障害のようです。雨音は「国吉さん」と呼び、ぎくしゃくとした同居生活が始まります。そこへ、お父さんの婚約者だった帆波さんまでが、一緒に住みたいとやってきます。雨音は国吉さんに反発したり、理解できなくて腹を立てたり、少し理解したり・・・。思春期の心の揺れもあり、うつ病のお母さんの世話をしている友だちがいたり、出口が見えないようだけれど、その中でもなんとか人と人が理解し合おうとする。簡単によかったね、という結末ではないけれど、頑張れ!と応援したくなります。    




                            


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