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おすすめ本です!
のぞいてみて下さい!


栃木子どもの本連続講座の2012年のテーマは「ドイツの子どもの本」です。
このコーナーでは、連続講座の講義の中に取り上げられた本を、ごく一部ではありますが、講座の順に取り上げ、紹介していきます。
                        おすすめ本

         

酒寄進一氏の講座
                          
『見えない雲』  
グードルン・パウゼヴァング 著/
高田ゆみ子 /訳
小学館 1987年



 グードルン・パウゼヴァングには、この本の前に『最後の子どもたち』という著書があります。こちらは第三次世界大戦が勃発し、核兵器が使われて・・・というお話です。
「最後の子どもたち」という題名から想像できるように、放射能の被害によって、主人公の子どもたちは地球最後の子どもたちになるのです。本当に恐ろしい物語で、20数年前に読みましたが、その後出版された、こちらの『見えない雲』には手が出ませんでした。
 『見えない雲』はチェルノブイリの原発事故の1年後に出版された本です。
日本で3.11による福島第一原発の事故があり、また今回の講座で取り上げられていたので、是非読んでみたいと思いました。
 グラーフェンハインフェルトにある原発で事故が起こります。主人公のヤンナ‐ベルタは、そこから約80Km北に離れたシュリッツに住んでいますが、ABC警報( 当時の西ドイツでは、ABC兵器-A=Atomar 核兵器、B=biologisch 細菌兵器、C=chemisch 化学兵器による攻撃に対する警報が定められていたそうです)が発令されて、一斉に避難を始めます。ところがあいにくヤンナ‐ベルタのお父さんとお母さんはこの原発の近くに出かけており、ヤンナ‐ベルタは1人で弟のウリを連れて逃げなければなりません。車もない二人は自転車に乗って出発しますが、道は大混雑で人々はパニックに陥っています。
 人々の混乱ぶり、パニックを読んで、「日本人はこんなにパニックにはならなかったぞ、第一80Kmも離れているのに・・」と思いながら読み進めていきましたが、事故の程度が違っていたにしても、次第に日本人が落ち着いていたのは、事態の深刻さがわかってのことだったのかどうなのか、むしろこれくらいのパニックになるくらい大変なことだったのに、それがわかっていなかった(今も?)のじゃないか?と思えてきました。本の扉にも「何も知らなかったとはもう言えない」という言葉が書かれています。今も全く解決していない日本の原発事故とその後の対応。
 是非多くの人に読んでいただきたい本です。


『愛の一家 あるドイツの冬物語』  
アグネス・ザッパー /作
遠山明子 /訳 マルタ・ヴェルシュ/画
福音館文庫 2012年



 この物語が最初に出版されたのは1907年です。子どもが7人いる音楽一家の物語で、作者のアグネス・ザッパーは自分のお母さんが語る子ども時代のお話をもとにこの物語を書いたそうです。
 ですから出版された時、すでに古き良き時代の香りがしていたというのですが、でも今読んでも、何か懐かしく、ホッとします。出版された当時はドイツで爆発的に読まれたそうです。その後、1930年代にこの本はもう一度読まれたということですが、それはこの物語のお母さん( ぺフリング夫人)を良妻賢母の理想として、ナチが利用したということです。
現在のドイツでは、この本は読まれていない、ということですが、でもこの本に出てくる父親像、母親像、そして子ども像には、それぞれのあるべき姿とでもいうものが現されているように思います。それでいて、決してありえない理想ではなく、お父さんは陽気だけれど短気で、そのためにあとで後悔したり、お母さんも優しく、思慮深いけれど、時には心配のあまり子どもにあたってしまったり、そして子どもたちもそれぞれ個性的で魅力があり、登場人物は皆、存在感があります。
そして何と言っても、大家さんの家の2階を借りて住んでいるこの一家が、こんなに大家族で、貧しく、つましい生活にも関わらず、題名の通り愛にあふれていて、信仰を守り、教養もあって、秩序正しく暮らしている、ということが胸を打つのではないでしょうか。




赤毛のゾラ』上・下 
クルト・ヘルト 
酒寄進一 
長崎出版 2009年


作者のクルト・ヘルトは1897年に生まれ、1959年にスイスで亡くなった作家です。本名をクルト・クレーバーといいますが、共産党員であったため、ナチに敵視され、妻のリザ・テツナー(『黒い兄弟』の作者)とともにスイスに亡命します。亡命先で本名で本を出版できなかったため、クルト・ヘルトの名前で執筆をしたそうです。
 この本は1941年出版ですが、今でもドイツの子どもたちによく読まれているということです。
 舞台は1941年のクロアチア。1941年は、4月にドイツの傀儡政権である「クロアチア独立国」が発足した頃ですが、この物語には戦争の場面はまったく出てきません。
 この本の出版は9月で、ドイツに逆密輸入されたということです。
 物語の冒頭、主人公の一人であるブランコのお母さんが亡くなります。けれどもブランコも近所の人も貧しくて、まともなお葬式をあげることも難しいというところから始まるこの物語の世界は、現代の日本からは想像もつかないほどの極貧ともいうべき貧しさで、思わず絶句してしまいます。ブランコの父親ミランは、舞台となる町セニュ一のバイオリン弾きとはいえ、放浪の生活で、お母さんが亡くなったことを知らせる手立てもなければ、ブランコが頼りにすることもできません。あまりの貧しさに、父方の祖母も全くブランコを引き取ることもできず、その気もなく、ブランコは全くの天涯孤独の身となります。
 着るものもない、食べるものもない、助けてくれる人もいないブランコは、あまりの空腹に、落ちた魚を拾います。ところがそのために泥棒扱いされて、牢屋に入れられてしまうのです。希望のかけらさえもない、物語の展開に、息苦しささえ覚えるほどでしたが、この時、もう一人の主人公である赤毛のゾラがブランコを牢屋から逃がしてくれるのです。
ゾラたちは、身寄りのない子どもたちで集まって、共同生活をしているのでした。
ここからの展開は、決してばら色ではありませんが、子どもたちのたくましさ、力強さ、明るさ、邪心のなさに満ちていて、舌を巻くほどです。日本でも戦後すぐの子どもたちって、こうだったのかなあ、と思わせられます。
下巻では、大人の中でのただ一人の子どもたちの理解者、ゴリアンじいさんも出てきて、
大人の読者としてはほっとさせられます。
 クルト・ヘルトは実際にゾラという赤毛の女の子とクロアチアで出会いモデルにしたそうです。ですから、町の風景、様子はとてもリアルです。またゾラは、『長靴下のピッピ』のモデルとなったとも言われています。それほどゾラは痛快で、たくましく、またアナーキーな存在です。
 現代の日本の子どもたちの枠にはまったお行儀のよさ、ひ弱さ、既製のものに頼る生活などを思うと、本来の子どもの姿ってこんなにもたくましく、ワイルドで、奔放で、それでいて損得に動かされない子どもらしい心を持っているものなんだ!と目を覚まさせられる思いがします。
 いたずらのスケールもとんでもなく大きくて、強欲な大人や、権力をかさに着る大人、権力に頼って弱いものをいたぶる大人は、痛い目に合わされます。なるほどドイツの子どもたちがこの本を好む理由がわかります。日本の子どもたちはこの物語をどう読むのでしょうか?



『ジュゼッペとマリア』上・下 
 クルト・ヘルト /著
酒寄進一 /訳
長崎出版 2009年



この本も、『赤毛のゾラ』と同じ作者、クルト・ヘルトが1955年に出版した本です。
この年、西ドイツでは、再軍備を行い、NATO(北大西洋条約機構)に加盟しました。
ジュゼッペはイタリア読みで、ヨセフと同じ、つまり題名は「ヨセフとマリア」という意味になるそうです。
 物語の舞台は1943年9月15日、ドイツ占領下のイタリアの片田舎で、ドイツ軍と連合軍の戦闘の巻き添えを食って、主人公ジュゼッペのお父さんとお母さんが亡くなるところから始まります。お母さんが、死ぬ前に、「ナポリにいるパウラおばさんのところに行きなさい」と言った言葉を守って、ジュゼッペはナポリに向かいます。けれどもナポリは大きな町で、どこに行ったらおばさんが見つかるのか見当もつきません。
 でも、ここにも身寄りのない子どもたちの共同体があり、またサルのアダムとロバのユストゥスを連れたウリッセという若者と知り合いになり、助けられます。おばさんを見つけたジュゼッペはおばさんたちと一緒に暮らしますが、そこにはやはりお母さんに死なれて行き場のないマリアという小さな女の子が引き取られています。
 ウリッセとジュゼッペはオレンジを仕入れて売ったり、マリアとアダムが踊りを見せてお金をもらったりして、楽しい日々を送ります。ところがマリアが孤児であることがわかって、無理やり警官に連れ去られ孤児院に入れられてしまったり、おじさんの弟のところで船の密輸を手伝わされたり、ポンペイの火山が噴火しておばさんたちと生き別れてしまいます。次々と困難なことに出会いながらも、ジュゼッペはマリアを守って、次の道を選択していきます。その時、お母さんたちが亡くなった時に手を貸してくれたアメリカ軍の兵隊たちや、行く先々で出会った子どもたちが助けてくれます。けれどもウリッセとジュゼッペたちは悲しい別れをしなければなりません。その後ジュゼッペとマリアは「子どもの町」という子どもたちの理想郷があることを知り、そこへ向かいますが、そこは・・・
 自分を信じて、悩みながらも決してまわりにずるずると流されないジュゼッペは、周りの仲間と対立しながらも、小さくて奔放なマリアを最後まで守り抜き、自分のことも守り抜きます。その姿には、読みながら思わず応援してしまいます。
 純粋で、落ち着いていて、考え深いウリッセがとても魅力的です。


佐々木田鶴子氏の講座

『キッカーズ!全6巻』  
 フラウケ・ナールガング /作
 佐々木田鶴子 /訳
 小学館



1. モーリッツの大活躍
 モーリッツは、ある日突然、ママと一緒に遠い町のおじいちゃんの家で暮らすことになってしまう。それで、パパがコーチをつとめるサッカーチームもやめることになり、イライラ。
そんな時、その町のサッカーチームのニコという少年と知り合い、メンバーに誘われるが、断ってしまう。だって、シーズン中にチームを変えちゃいけないから、新しいチームには入れない。でも、そんなこと説明できず、学校で同じクラスのニコたちから嫌われてしまう。でも、サッカーが大好きなモーリッツは・・・。

2. ニコの大ピンチ
3. 小学校対抗サッカー大会
4. 仲間われの危機
5. 練習場が見つからない
6. めざせ、優勝だ!


 サッカー好きはもちろん、サッカーを知らなくても楽しめる、とても読みやすい本です。



プロイスラーの昔話 全3巻
 
『真夜中の鐘がなるとき(宝さがしの13の話)』
 『地獄の使いをよぶ呪文(悪魔と魔女の13の話)』
 『魂をはこぶ船(幽霊の13の話)』 
  
 オトフリート・プロイスラー /作
 佐々木田鶴子 /訳
 小峰書房 



 この三冊の本は、ドイツの有名な児童文学者プロイスラーが、似通っている昔話を集め、それぞれの優れた部分を取り出し、筋道を分かりやすくおもしろい話に仕上げ、生き生きと自由に語りなおしています。一話一話の前に作家自身の解説がついているので、昔話の場所や時代背景や成り立ちがわかり、話の理解が深まります。


『忘れても好きだよ おばあちゃん!』
 ダグマー・H・ミュラー作 フエレーナ・バルハウス /絵
 ささきたづこ 
 あかね書房


あかね書房の「体が不自由な人への理解が深まる絵本」の1冊として出版されています。
同じつくりの本で次のようなシリーズがあります。

『わたしの足は車いす』
フランツ=ヨーゼフ・ファイニク/作  フェレーナ・バルハウス /絵

『見えなくてもだいじょうぶ?』 
フランツ=ヨーゼフ・ファイニク/作  フェレーナ・バルハウス /絵  
  
『わたしたちは手で話します』
フランツ=ヨーゼフ・ファイニク/作  フェレーナ・バルハウス /絵 
       

 一人暮らしをしていたおばあちゃんが、娘夫婦・孫と一緒にすむ事になった。
この絵本は同居する事になった孫娘の視点で書かれている。おばあちゃんの病気は「アルツハイマー病」新しい事を覚えられず、まわりをびっくりさせるような事をやる。
家族は病気への理解を深め、おばあちゃんに適切の対応している。
「アルツハイマー病」の事を知らないこどもたちにはもちろん、見知っていると思っている大人が読んでも「へえ、そうなんだ」という発見がある。何時自分に降りかかるか分らない人ごとと言えない病気。こうした本をきっかけに「アルツハイマー病」への理解が深まるといいですね。大人も読んでみてね。



『バッタさんのきせつ』
 エルンスト・クライドルフ /作
 佐々木田鶴子 /訳
 ほるぷ出版 



スイスの絵本画家 クライドルフだが、「ドイツ語圏」という事で取り上げられました。
折りしも、日本で「クライドルフ展」が開催中でにわかに注目の絵本作家・作品です。
「バッタさんのきせつ」は「春がくる」から始まり「冬のたのしみ」までの季節の移ろいと、その時々のバッタさんの様子。きっと人間の目に触れない世界で、バッタさんはクライドルフの世界のように豊かな日常を過ごしているのでしょう。
ゆっくりと絵を楽しみ、それに添えられた短い詩を読んでクライドルフの世界と自然を感じられたら幸せですね。ゆっくりゆっくり、絵を見ないともったいない!

吉原素子氏・吉原高志氏氏の講座


『初版 グリム童話集1~5』  
 吉原高志・吉原素子 /訳
 白水社



 初版本の全訳はこれが初めてなので、グリム兄弟が童話集を世に出したその最初の姿を見ることができます。子どもに聞かせるにはふさわしくないとの理由でその後の版から取り除かれた話が入っています(原書第1巻22番、54番)。これらはこれまで日本の読者にはあまり知られていない話でしょう。一方、「ヘンゼルとグレーテル」や「白雪姫」の継母が、この初版本では実母であるということは比較的知られています。改訂を重ねるにつれ、童話集は繊細な描写が多くなり、文学性も高まりましたが、表現や描写の荒削りで大胆なところは失われていきました。この初版本では当初の素朴な口伝えの物語の魅力を味わうことができ、改訂版と比較しながら読むと、あらたな興味を呼び起こされます。


『灰色の畑と緑の畑』
 ウルズラ・ヴェルフェル /作
  野村泫 /訳
  岩波少年文庫 



 『火のくつと風のサンダル』で知られるヴェルヘルですが、1970年にこれまでとはまったく違ったこの作品を書きました。14編の短編からなり、作者もまえがきに書いているように、人間が一緒に生きることの難しさを語っています。それが読者に突きつけられ、そのままお話は閉じられる。読者は否応なしに深いショックを受けるが、考えて、考えて、やがてゆっくりと立ち上がり、何かをつかむ、何かを変えようとする力を与えてくれる作品です。
 きりりとしまった文体と、美しい翻訳で、一気に読者を引っ張って行きます。小学校高学年から大人まで、ぜひ手にとって欲しい傑作です。 



『少年の魔法の角笛 童唄之巻』
 アヒム・フォン・アルニム&クレーメンス・ブレンターノ/編
 吉原高志 
 白水社


『少年の魔法の角笛』はドイツの後期ロマン派の作家ブレンターノとアヒムによって、1806年に第1巻が出されました。口から口へ伝えられてきた民謡を集めて、初めて文字に定着させたものです。この民謡集は第3巻まであって、童謡は第3巻の付録として収められています。子守歌や遊びの歌、かぞえ歌、物語り風な歌、ナンセンスな歌などが含まれています。謎めいた小人が出てきたり、ふざけた笑える歌があったりで、当時のドイツの子ども達なら誰でも口ずさんでいたであろう楽しい歌ばかりです。
 この童謡集はやがてグリム兄弟が「グリム童話集」をつくるきっかけとなったともいわれています。
 このおすすめの本にはすべての歌が訳されていますが、岩波少年文庫から子ども向きに選ばれたものが出版されています。それぞれの訳で楽しむことができます。



『ファービアン あるモラリストの物語』
 エーリヒ・ケストナー/作
 小松太郎 /訳
 ちくま文庫 



これはケストナーの大人の長編小説です。タバコ会社に勤める32歳のファービアンは、ヒットラー台頭の直前の退廃した時代に悶々とした日々をおくっていました。そんな中、突然の解雇、親友の自殺、恋人が女優になる為に身売りするなど、次々と不幸がおそいかかります。失意の心を抱いてベルリンから故郷のドレースデンに帰ったファービアンを待ち受けていたものは・・
 皮肉や揶揄が全体にちりばめられていますが、品の良いユーモアも随所に感じます。子どもの本では子ども達のほうが理性があり、大人は無秩序な存在で描かれていますが、ここでも大人に対する強烈な揶揄を感じます。又、ヨーロッパ大陸の危機の時代だとも書いていて、まさに現代にも通じる物語です。
 「ケストナーの子どもの本」の思い出をたくさんもっている人には、ぜひこちらも読んでみていただきたい傑作です。もちろん、ケストナーが初めての人にも。


池田香代子氏・望月みどり氏の講座

点子ちゃんとアントン』 

エーリヒ・ケストナー 
池田香代子 
岩波少年文庫 


ケストナーの作品の中からこの一冊!
点子ちゃん? って変な名前?? これって、ドイツ語でPunktchen
点のように小さい子という意味、だから日本語に翻訳すると点子ちゃんになるわけ。
本名はルイーゼ、好奇心旺盛でお茶目な女の子、そして、とってもとってもお金持ち。
アントンはとても貧乏だけど、勇敢でやさしい男の子。
全然違う二人だけれど、強い友情で結ばれています。
二人を取り巻く個性豊かな登場人物たち・・・、どんな事件が起きるのやら・・・。

年配の方は高橋健二氏訳でお読みになっていると思いますが、ぜひ池田香代子氏訳をお読みいただき、小学生や中学生、大人の方にも紹介していただきたい一冊です。
池田香代子氏の訳者あとがきにケストナーの詩の紹介がありました。
ケストナーさん、母の気持ちがわかるのでしょうか? 
皆様、ぜひぜひご一読を!



【望月みどりさんのおはなし会で語って頂いたおはなしです。】
『『ふしぎなオルガン』

 リヒャルト・レアンダー /著
国松孝二 /訳
岩波少年文庫



本書はリヒャルト・レアンダーによって1871年に刊行された創作童話集です。本名はリヒャルト・フォン・フォルクマンといい、ドイツでは
フォルクマン・レアンダーの童話として親しまれています。
 フォルクマンは医師でハルレ大学の外科医や病院長を務めるなど整形外科手術の名医として、ヨーロッパでは広く知られていました。この本は、1870年に起こった独仏戦争で、ドイツ軍の軍医監として出征していたフォルクマンが、ふるさとや、ふるさとに残してきた子ども達に思いをはせ、戦地から送り続けたお話を集めたものです。原題は、『フランスの炉辺の幻想』といい、20篇の童話が収録されています。
 表題の「ふしぎなオルガン」は、うぬぼれと功名心の強いオルガン作りが、神さまの意に沿わないのを花嫁のせいにし、家を飛び出したが、苦労と流浪の果に、ようやく神さまのみこころにかない、オルガンがひとりでに鳴り出すという心に響くお話です。また、小さな女の子の一日の冒険を描いた「こがねちゃん」、悪行のため左半身が錆びてしまった「錆びた騎士」、「魔法の指輪」では、たった一つしか願いがかなえられない指輪を手にした、若い百姓夫婦の心の動きを描いています。「沼のなかのハイノ」は、沼の恐ろしい鬼火の精から、命をかけて王子を救う健気な乙女のお話です。
 その他、「不幸鳥と幸福姫」「夢のブナの木」「みえない王国」「古いトランク」等、幻想的な話、ドラマチックな話、宗教色の濃い話、あどけない心温まる話等、どのお話もみずみずしい情緒と、ほのかな哀感が漂っています。また、心の奥底に触れてくるような、つつましい語り口も本書の特徴です。
 小学生の中学年以上の子ども達にお勧めの本です。



 





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