『赤毛のゾラ』上・下
クルト・ヘルト /著
酒寄進一 /訳
長崎出版 2009年
作者のクルト・ヘルトは1897年に生まれ、1959年にスイスで亡くなった作家です。本名をクルト・クレーバーといいますが、共産党員であったため、ナチに敵視され、妻のリザ・テツナー(『黒い兄弟』の作者)とともにスイスに亡命します。亡命先で本名で本を出版できなかったため、クルト・ヘルトの名前で執筆をしたそうです。
この本は1941年出版ですが、今でもドイツの子どもたちによく読まれているということです。
舞台は1941年のクロアチア。1941年は、4月にドイツの傀儡政権である「クロアチア独立国」が発足した頃ですが、この物語には戦争の場面はまったく出てきません。
この本の出版は9月で、ドイツに逆密輸入されたということです。
物語の冒頭、主人公の一人であるブランコのお母さんが亡くなります。けれどもブランコも近所の人も貧しくて、まともなお葬式をあげることも難しいというところから始まるこの物語の世界は、現代の日本からは想像もつかないほどの極貧ともいうべき貧しさで、思わず絶句してしまいます。ブランコの父親ミランは、舞台となる町セニュ一のバイオリン弾きとはいえ、放浪の生活で、お母さんが亡くなったことを知らせる手立てもなければ、ブランコが頼りにすることもできません。あまりの貧しさに、父方の祖母も全くブランコを引き取ることもできず、その気もなく、ブランコは全くの天涯孤独の身となります。
着るものもない、食べるものもない、助けてくれる人もいないブランコは、あまりの空腹に、落ちた魚を拾います。ところがそのために泥棒扱いされて、牢屋に入れられてしまうのです。希望のかけらさえもない、物語の展開に、息苦しささえ覚えるほどでしたが、この時、もう一人の主人公である赤毛のゾラがブランコを牢屋から逃がしてくれるのです。
ゾラたちは、身寄りのない子どもたちで集まって、共同生活をしているのでした。
ここからの展開は、決してばら色ではありませんが、子どもたちのたくましさ、力強さ、明るさ、邪心のなさに満ちていて、舌を巻くほどです。日本でも戦後すぐの子どもたちって、こうだったのかなあ、と思わせられます。
下巻では、大人の中でのただ一人の子どもたちの理解者、ゴリアンじいさんも出てきて、
大人の読者としてはほっとさせられます。
クルト・ヘルトは実際にゾラという赤毛の女の子とクロアチアで出会いモデルにしたそうです。ですから、町の風景、様子はとてもリアルです。またゾラは、『長靴下のピッピ』のモデルとなったとも言われています。それほどゾラは痛快で、たくましく、またアナーキーな存在です。
現代の日本の子どもたちの枠にはまったお行儀のよさ、ひ弱さ、既製のものに頼る生活などを思うと、本来の子どもの姿ってこんなにもたくましく、ワイルドで、奔放で、それでいて損得に動かされない子どもらしい心を持っているものなんだ!と目を覚まさせられる思いがします。
いたずらのスケールもとんでもなく大きくて、強欲な大人や、権力をかさに着る大人、権力に頼って弱いものをいたぶる大人は、痛い目に合わされます。なるほどドイツの子どもたちがこの本を好む理由がわかります。日本の子どもたちはこの物語をどう読むのでしょうか?
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